
コロンブスの大西洋海路発見は、おそらく百年に一度あるかないかの大変な熱気を伴った時代の節目だったに違いない。前世紀(20世紀)のそれはビートルズの出現の時だと思う。大きな山が動いたようなゾクゾクする緊張感が走ったものだ。短い期間ではあったがあの流動感あふれる興奮の時代を体現出来たことは幸運だったと思う。大航海の幕開け時代は、多分そんな熱気のみなぎるワクワクする時代ではなかっただろうか。セビージャ港はスペインにおける唯一の河港だ。大航海時代の貿易港はセビージャだけが独占した。それだけに当時未曾有の繁栄を誇った。何せ巨大な新大陸からの上がりは全てセビージャに荷揚げされていたのだから多分、世界の都市のなかでも最も華やかな町であったと思われる。経済的に潤うということは文芸の面でも興隆を見ることになる。velazquez,murillo,valdes leal といったセビージャ派と呼ばれる巨匠達が次々と出てくる。絵描きというのは大工やパン屋と同等の単なる職業だった。寺院や貴族の館の内装をする人達という位にしか評価されていなかった。ところが巨万の富が一部に集中するようになると,絵の需要も増えるし,購入者の鑑識眼も上昇するし,好みもバラエティーに富むようになる。つまり絵を購入する側の要求は増してくる。絵描き達は切磋琢磨せざるを得なくなる。豊かになった文化都市に巨匠が出る所以である。このセビージャが繁栄するきっかけを作ったのはマゼランではないだろうか。マゼランは出身はポルトガルで25歳で東周りで香料諸島(今のフィリピン、インダネシアあたり島々)まで行ったことがあった航海士だが,西回りで行けることを主張、時のポルトガル王マヌエル一世に進言するのだが相手にされず,落胆してセビージャに移り住むことになる。そして今度はスペイン王カルロス五世の援助を引き出し、セビージャで五隻のカラベラ船と265名の乗組員を組織し,1519年9月20日、san lucarから出航する。難航を極めたマゼラン隊がフィリンピンに到着した時に,同行していたエンリケと言う,以前東周り航海の時に連れて来た土人が土地の言葉を理解したのだ。これで地球が丸いことを立証できた。マゼラン自身はフィリピンで土人に殺されてしまい、副官のel canoが航海を続け,1522年9月6日、san lucarに帰港した。ヴィクトリア号一隻とわずか18名の乗組員の帰還であったが、ここに前人未踏の世界一周が成功することになる。実際に初の世界一周を成し遂げたのはマゼランではないのだが,この企画を実践し,フィリピンで地球が丸いことを立証した点が評価されたものと思える。el canoの名前は余り歴史に登場することはない。いずれにしても重要なのは海路を発見したことだ。スペインの黄金時代のきっかけを作った。しかし面白いのは,のちに莫大なる富をもたらすきっかけを作った,コロンブス、マゼラン双方ともスペイン人ではないのだ。彼らに資金援助をした当時のスペイン王家の先見の明を評価すべきかもしれん。

それで,話がそれてしまったような感じだがそうでもないのだ。何故ベネズエラが世界のミス工場と呼ばれるようになったかだが、ほとんど抵抗することがない従順なIndio達を奴隷扱いし,巨大な成金者が幾多も出てくる。そんな成金者がIndioの女達では満足出来なくなったのは,容易に想像出来る。そして本国スペインに帰国しては金を餌に美女を新大陸へ連れて行った。スペインの一般の国民は常に食うや食わずの極貧状態だったから,彼女らも合意の下に新大陸へ行ったものと思われる。彼ら成金者はIndioと混じることはなかったから、今、ミスコンテストの優勝並びに上位に入賞する数多くのベネズエラ、コロンビアの女性達はほとんど純血のスペイン人と言える。しかし当初は女性の渡航が禁止されていたから,スペイン人との混血(Meztizo)が増えた。ここが家族ぐるみで移住したイギリス、フランスと違う所で,イギリス、フランスが支配したかつての植民地には混血人種がほとんどでなかった。中南米に渡った脂ぎった男共は蛮行と殺戮を繰り返すのだが、その余りにも見るに耐えない残虐行為をセビージャ出身のお坊さんLas casas師が時の王様カルロス5世に訴えた。王様もある程度認めたのだが、労働力不足の問題が出て来てアフリカから黒人を連れてくるにした。これが黒人奴隷の歴史の始まりだ。つまりIndioはまだ人間として認めたわけだが黒人は鼻から家畜扱いだった。今でも特に中米、ブラジル、カリブ海諸国に黒人が多いのはその歴史の名残だ.歴史とは実に生々しいのである。ベネズエラやコロンビアで超美形が(国民のの極々一部であるが)誕生するのもほとんど偶然の歴史のいたずらと言えるのだ。話は少し飛ぶが黒人奴隷貿易が禁止された後、わずかな期間だが労働力不足を補うため中国人移民(半奴隷)を受け入れたことがある。特にキューバの砂糖畑に入植させられたから今でもキューバには中国系がいる。それでわずかだが白人と黒人のハーフに中国人が混じったのがいて、これが今まで見た中では最も美形な人種だとあるスペイン人旅行家が言っていた。

孫娘はクォーターになる。クォーターと言っても日本人の血は四分の一だ。これから変わるかもしれんが、今のところ日本人の血もはっきり残っている。親の、いや爺の欲目かもしれんが、赤ちゃんは日本人の方があどけなくて、それらしいい感じがする。スペインの子供達は本当に可愛いのが多いのだが赤ちゃんは別で、スペインの赤ちゃんは中には随分大人びたのもいて、オッサン顔とかオバン顔の赤ちゃんなんか見るとドキッとしてしまう。末は悪徳不動産かやり手ババーかというようなもの凄い形相の赤ちゃんを見ると恐ろしくなってくるのだ、三歳、四歳頃になると子供らしく変わるのが多い。以前住んでいた近所に子供が生まれたことがあって見に行ったことがあったのだが、生まれたばかりで前歯があるのだ。顔も完全にオッサン顔で玩具より鍬かスコップでも持っていた方が似合いそうなのだ。これは特別のケースだと思うが、一般的に欧米系の小さな子供たちは可愛い割には赤ちゃんはそうでもないように思える。男の子と女の子とどちらが好まれるか、これは圧倒的に女の子だ。日本も段々そうなっているようだが、大きくなって結婚して実家に寄り付くのは圧倒的に女の方の実家だ。昔は社会が農業基盤だったから一家の担い手と言うと男の子だった。老後の面倒を見てくれるというと自然、家業を次いだ男の子だった。特に日本の場合は女の子は結婚すると他家にやるという意識がある。実際、名字も変わる。スペインの場合、一生名字は変わらないのだ。日本でも親と同居するというのは段々少なくなっているがスペインは昔からだ。親が年老いて片方が亡くなりしかも体が不自由になった時に同居するケースがないこともないがそれも少なく、子と一緒に住むより老人ホームの方を好むようだ。経済的の問題もあるようだが、なるだけなら同居することによる家族内の摩擦を避けたいというのではないだろうか。