
世界で最も過酷でありまた権威のある自転車のロードレースTour de franceだ。フランス一周のツアーだが特にピレネー山脈での戦いが勝負の決め手となる。Alberto contador.彼はマドリッドの郊外都市、いわゆるベットタウンであるPintoの出身だ。その昔ナポレオンの侵略戦争で大虐殺があり反抗する市民が大量に生き埋めになったという所でそれ以外歴史に登場することはない。その暗い歴史を持つPintoが昨夜は市始まって以来のお祭り騒ぎになった。Tour de france史五人目のスペイン人チャンピオンの登場である。二位との差わずか23秒,歴代三番目の激戦を勝ち抜いた。このところスペイン人の特にスポーツでの躍進はすさまじい。このツアーにしても上位十人中六人までがスペイン人で占めた。ただ単に走ったりとか球一つで出来るサッカーなどいわゆる金の掛からないスポーツではアフリカ勢が圧倒的だ。生まれながらの骨格が違う。あの強靭なバネのような身体を見るにつけとても勝てないと変に納得してしまう。ブラックアフリカもそうだが北アフリカのモロッコ、アルジェリアなども特に中距離が強い。にわかに信じがたい話だがモロッコに泥棒学校(まさか公立じゃないだろう)があると聞いたことがある。こういうところで訓練しているのかな。800,1500,3000mいわゆる中距離、引ったくりするのに理想的競技だ。”ん”自転車だったな。Alberto contador,陰惨な過去を持つ街Pintoにあっては超明るいニュースである。祝優勝。
Archive for July, 2007

このMedulasについては2000年前にもかかわらず割りと資料が残っている。ローマの歴史家であり作家でもあったPlinioがこの金鉱の行政官を勤めたことがあったからだろう。彼が残した文献によると年に二万ポンドの金を産出していた(9200g位か)。また六万人の人夫が従事していたと言う。250年にわたる採掘で1635トンの金を確保した。最近の科学的調査では1500トンの金を採掘したと公式発表された。余り誤差はないのだ。Plinioがいうには海底の真珠を探すより楽な仕事だと記述している。多分露天掘りだったからだろう。未知の土地にロマンを求めて次々に開拓して行ったローマ人達の軌跡、これがこのLas medulasだ。絶壁のように切りそがれた山肌は余りにも傾斜がおお過ぎ保水能力をなくす結果になり植物の繁殖を拒んでしまった。よって世にも稀な奇観を呈するにいたった。この傾斜がもう少し緩やかだったら植物は繁殖し一面の緑の何の変哲もない景観になっていただろう。1997年に世界遺産登録されている。

スペインの世界遺産シリーズをローマの遺跡メリダから始めたわけだが次にどこに行ってこましたろかと考えた。近郊から攻めていくか、あるいはローマ帝国関係から行くか、その両方に一致するのがあった。ローマの金鉱採掘遺跡、Las medulasである。脊髄とかいった意味だが金鉱採掘によって山々が削られ赤銅色の地肌がむき出しの壮大なる奇観を呈している。正に山々の骨だけが聳え立っているような感じだ。38あるスペイン世界遺産のなかでも最も変わったものだと言える。人為的景観の中では世界的に見ても最も壮大な一つではないだろうか。つまりグランドキャニオンやアラスカの氷河のように自然が何億年にわたって造ったものは別にしてという意味だ。ここにも古代ローマがいかに進んでいたかが分かる。まず金鉱の有無をどうやって解明したのだろうか。偶然発見したとは考えられない.と言うことは地質学がもうすでにかなり確立されていたことになる。また山肌を削って土を洗浄し砂金を確保するわけだが問題はその水だ。約2000mあるTeleno山の雪解け水を使ったようだが写真のように高低の多い山地にあって水路約300kmも設けたという。水は当然高い方から低い方にしか流れない。これを300kmにわたって、水路というよりも運河と呼ぶべきか、造ったのである。その幅1,28m.カーブの所は1.6mと全て均等に造られている。また岩山にもトンネルを堀り運河を通したのだが驚くべきはちゃんと傾斜が設けられているのだ。測量術を含めてローマの土木建築がいかに進んでいたかを伺うことが出来る。