
ついにやった。スペインのクラブチームとしては史上初めてである。Tripletesつまり、リーグ戦、カップ戦、そしてこれが一番難しいのだがヨーロッパカップ。この三タイトルを獲得したのだから、いやがうえにもバルセローナの町は盛り上がった。バルセローナのシンボルであるランブラス通りのカナレタスの泉(16世紀、ここに泉があって、そこから流れ出す水が小さなcanal運河になっていた。バルセローナを訪れる人はこの水を飲むとまた戻ってこれるという。)に何万と集まって、これを祝った。多分多くの人々が一生に一度しか経験できない超快挙である。スペインの祭りと言うと、もう底なしだ。いつ終わるとも知れない興奮状態が朝まで続く。そして最後には一部が暴徒化してしまう。ショウウィンドウのガラスを割ったり、ゴミ箱(人間が何人も入るほどの大きさだ)をひっくり返したり、燃やしたりといった、我々から見ると!何で!と思うのだが、必ずそうなってしまう。あれは負の発散方向なのだろうか。理解に苦しむ。今回も暴徒鎮圧の警察隊との間で流血騒ぎで50人ほどが逮捕されていた。このファンの暴徒化が有名なのがイギリスで、いわゆるフーリンガンだが、決勝の対戦相手がマンチェスターということで警察も厳重警戒に当たり酒類を販売できないようにした結果、たいした騒ぎにはならなかったようだ。決勝戦はローマであったのだがマンチェスターのフーリンガン約5千人は入場チケットを持たずに来ていたというから分からん。騒ぐこと目的で行っているのだろうな。しかし騒ぎ目的でわざわざローマまで行くというのも理解に苦しむ。まずはFCバルセローナおめでとう!経済効果のほうも莫大だという。元々元気な町のバルセローナだが一層活気づくことだろう。
Archive for May, 2009
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コロンビアの特異な画家であり彫刻家であるフェルナンド、ボテロの作品はマドリッドにもいくつかある。見てて何となくほほ笑ましく楽しい気分にしてくれる。これでいいのではないだろうか。音楽は音を楽しむ。Pavarottiのファンが南春夫のファンを馬鹿にする理屈はどこにもない。それぞれその音を楽しめばいいのだ。絵画、彫刻も同じではないだろうか。半アニメ的で芸術的価値を見出すのに躊躇してしまうボテロの作品に批判的な人は多い。ボテロは言葉や色、形、比率といったものの最も根本的な感性を直感的な美的思考に求める抽象芸術家である。とある所に書いてあった。分かったようで今ひとつ分からん。何故、文芸評論と言うのはこと難しく書くのであろうか。自分らの神聖、神秘な世界(と彼らは勝手に思っているだけだが。)に愚民を近づけたくないというような傲慢さが感じられて仕方ない。何故、もっと易しく、分かりやすく書かないのか。一人で鼻息荒く怒っている今日この頃である。まあ、ボテロの作品は難しく考えることはない。ほのぼのとしたユーモラスさだけでいいのじゃないかな。写真のボテロの作品はマドリッドのコロンブス広場の近くにある。

ノーベル賞のスペイン版といえるのがアスツリアス王子賞(premio de principe de asturias)だ。今回は建築デザイナーのノーマン、フォスター(1935年、Manchester生)も授賞することが決まった。今もっとも注目されている建築家といって間違いない。彼の作品の八割以上が英国以外だ。もっともユニバーサルな建築デザイナーといえる。三ヶ月ごとに何某かの賞を受けている。今の奥さんがスペインの有名な女医さんで、以前は自分のテレビ番組を持っていたElena ochoaという人で、一応マドリッドに住んでいる。一応と言うのもその行動半径は超人的で、世界中を飛び回っている。北京空港やフランスのMilleeau橋のようにスケールの大きい作品が多いが、中には写真のようにビルバオの地下鉄の入り口なのだが、それまでの地下鉄の入り口の概念からは考えられない奇抜なデザインの小さな作品もある。スペインでの最大の作品は建築中のCaja de madrid(当ブロクのcuatro torres参照)だがバルセローナの世界二位の大きなサッカー場、Camp nouの増、改築工事も彼が手がけることになるという。この世界は何しろ時間が掛かる。19年前に彼がコンクールで落札したドイツのDuisburgの都市開発がやっと市議会で許可を得たそうだ。生活空間を尊重するのが彼の主義だそうだ。その彼の作品がいくつか見れるマドリッドは建築関係の人々にとって魅力な所と言える。