Archive for August, 2009

アランフェス2 Aranjuez 2


マドリッドの周辺には数々のの離宮がある。しかしマドリッド県内ではマドリッド市以南における唯一の離宮がアランフェスだ。castilla(マドリッドを中心とする地方)のオアシスと呼ばれている.アランフェスはタホ川とハラマ川の合流地点の沃野地帯(Las vegas  アメリカのラスベガスはスペイン語なのだ)にできた街だ.砂漠化が進むこの地方にあって(他の項でも書いたが砂漠は砂丘ではない.見るからに土が貧弱だ.砂丘の土壌はもっと貧しいのだが、少なくとも見た目には美しさがある。)このアランフェスだけは緑が美しい。国土回復運動の時代もこの肥沃な土地にイスラム教徒は執心したようで、すぐ近くのトレドのキリスト教徒側による奪還の後、約一世紀の間アランフェスはイスラム教徒が死守した.砂漠の民の水や緑に対する並々ならぬ思いが歴史に反映されている.さてアランフェスの離宮はフェリッペ二世(九州の大名が送った少年使節を迎えた王様)が1561年に建設を命令している.しかし彼の時代には完成をみなかった。一応の完成を見るのは18世紀になってのフェルナンド6世の時代だが使用するようになったのは、次のカルロス3世の時代だ.スペインは1700年ちょうどにハプスブルゲ家からブルボン家に代わる.この両家の家風は対照的でハプスブルゲ家が非常に質素な王家なのに対し、ブルボン家は実に派手である。この離宮にしても絢爛豪華に仕上がってしまった.多分、最初のフェリッペ2世の意向とは全く違ったものになったと思う.同じ時期に彼はエスコリアルの離宮も手がけたわけだが、こちらの方は修道院と王廟も兼ねていて狂信的この王にして熱の入れ方が違っていたのだろうし予算も回らなかったに違いない.アランフェスの離宮の建設は頓挫せざるを得なかった.この離宮を頻繁に使うようになるのはカルロス4世だ.そして彼とその子のフェルナンド7世の時代にアランフェスはスペイン史に登場する。

日本の印象3

七月の初めに日本へ行ったのだが、豚インフルエンザの影響のあるし、夏の間はヨーロッパ便は空いているもんだからたかをくくっていた.ところが超満員なのだ.空席なしというのは非常に疲れる.よく見ていると子供連れのお母さん方が目立つ.ヨーロッパの学校は六月の後半で終わるのだ.それで子供を連れての里帰りの時期なのだった.そしてその多くは明らかにハーフというのが分かる子供達だった。女房が丸でお人形のようだと言ってていたけど本当に可愛い子供達だった.で、そのお母さんがたはどうかというと、これがおしなべて並以下で、事情を知らなかったら親子とは誰も分からないだろう.最もわたしも人のことを言える立場ではなく、本当にお子さんですかと直接間接よく言われる.90年代の一時期、日本は主要国の中で最もお金持ちの国になったことがあった.しかし、多くの日本人はその豊かさを感じていないという意識調査が出ていた.何故豊かさを感じれなかったのか具体的な答えは出てないという。物質的な面で急速に豊かになったのだが精神的面での追従はなかったのではないだろうか。これはどうすることも出来ないのだが欧米人と比べてスマートさに欠ける。自分に対する自信がどうしても欠けてしまう。私など短足短身の大正時代の典型的日本人のような体型だからなおさらだが自分の風体に劣等感を感じてしまう.人間は外見ではなく中身だとよく言われるが、本人に取ってこれを克服するのは難しい。起承転結のない項になった.次にしよう。