Archive for January, 2010 Page 2 of 7



アンダルシア街道を行く24 Cordoba6(コルドバ6)


キリスト教もイスラムもユダヤ教から分かれたものだ.昔から骨肉相食むと言う.血族どうしの争いの方が醜いものだ.特にイスラムは後進だけに既存宗教の矛盾点を批判し易かった.イスラムはユダヤ教同様に,いやそれ以上に排他的なのだ。そして共にエルサレムが聖地なのだから、彼らの紛争は終わることはないだろう。中南米からの個人の旅行者が集まってマドリッドからのヨーロッパ一周ツアーがある.まあハトバスの規模を大きくしたようなもんだでスペイン人の公式ガイドがエスコートするわけだが、中にユダヤ人が混じっているとがっかりするという。(アルゼンチンは世界で七番目にユダヤが多い)ともかく統制がとれなくなるそうだ。前述のように自負心が異常に強いから、他人に厳しく自分に優しいのが多い.ガイドにまで色々と指図をする.ガイドも相手は一応お客さんだから余り強いことは言えない。そうすると助長する。それが高じると今度は他の客の不満噴出となる。バスのなかは険悪状態で楽しいはずの旅行はもうケンケンガクガクの憎しみの渦となってしまうそうだ。一度などはブラジル人の何人かが途中で降りて,『ヒットラーは間違ってなかった』と捨て台詞を残して旅行を破棄したそうだ。天の邪鬼というのか必ず一言ケチをつける、素直さがないのが多いと言っていた。私は直接ユダヤ人と知り合ったことがないので体験はない。DNA鑑定によると改宗ユダヤ人の子孫は20%にも上るという。特にAsturias地方は全住民の35%でイベロ人の子孫より多いという。コルドバが栄えた時代のユダヤ人でイスラエルの紙幣のモデルにもなっているのがマイモニデスだ。哲学者で医学、天文学、神学にも長けていたスーパーマンで名医でもあったようでイスラムの王侯貴族まで彼を頼ったと言われている.最終的にはイスラムへの改宗を迫られて、各地を放浪しエジプトのカイロで客死する.彼の最大の功労は膨大なユダヤ法を体系化し法典化したてんにあるという。分かったようでさっぱり分からなくて,分かろうともしないか。

アンダルシア街道を行く23 コルドバ5(cordoba5)


callejon de flores 花の小径と訳されたこの袋小路は,背景にモスク時代の塔ミナレット(今はキリスト教の尖塔)があって、白い壁にジェラニュームの鉢植えが飾ってあり、そのお見事な色との対比など絶好のアングルだ.人二人がやっと入れる狭い通り,小さな広場、エキゾチックだ。これで人がいなかったら”哀愁のコルドバ”なんだが絶好のポイントだけにいつも人で溢れている。ここは昔のユダヤ人街だ。スペインの歴史を語るとき1492年が最もよく出てくる.アルハンブラの陥落、コロンブスの新大陸発見、イスラム教徒の追放と世の中を揺るがす事件が次々と起った。イスラムと共に追放されたのがユダヤ教徒だった。ここは敢えてユダヤ教徒と言わねばならない。つまり改宗するユダヤ人は残れたのだ。しかし改宗するといっても自己申告だから本当に改宗したかを調べる異端審問所という悪名たかき機関が設けられ、日本の踏み絵みたいなものだが拷問が行われた。改宗を拒んだユダヤ人は今のトルコ、ブルガリア、ギリシャ、一部はモロッコに移り住み今でも当時のスペイン語をしゃべっているという。ただイスラエル建国のときに多くはイスラエルに移住した.特にモロッコにはほとんど残ってない.ユダヤ人は何故嫌われるのか.この疑問は多くの人が持つし、私もそうだ。スペインにユダヤ人がいないので(今は宗教の自由が保障されたので全国に1200人ほどユダヤ教徒がいるらしい)知り合いがいない。しかし聞いた話をまとめると,選民意識が強すぎて妥協することがないという。つまり自分は神に選ばれた優れた人間と思っているから、その裏返しで他人を馬鹿にする。ユダヤは常に迫害されてきたから、常に緊張していた。人間は有事の時ほど能力を発揮する.だからユダヤ人には各分野で優れた人物が出た。この事実が彼らの自愛心に輪をかけることになる。また常に迫害されていたから持って逃げることが出来る金や宝石の執心したのは当然だ.今でもこの金融投機市場は彼らの独壇場だ。吝嗇家で自負心が強かったら嫌われるだろうな。

アンダルシア街道を行く22 Cordoba4 コルドバ4


さてメスキータであるが,(その建立経過については世に五万と出ている案内書に載っているから,そちらに任せよう.だいたいあの手の案内書は苦手だ.面白くないのだ.やたらと馴染みのないカタカナの固有名詞や何とか様式とか細かい年代出てきてうんざりしてしまう.そういうのは最小限にしてもらいたいものだ。だからここでも最小限にしよう。)8世紀の中頃にそれまであったサンビセンテ教会をイスラム側が正式に購入し,モスクとして使うようになった。しかしコルドバの市が大きくなるに従って拡張していくのだが,その中でも中心なのが第二拡張部分で10世紀のアルハキム2世の時代だ。前述したように当時世界最大の文化都市だったといわれている。遠くフランスから貴婦人が衣服の発注をコルドバにしたという記録があるいうから物質面でも非常に豊かな町だったと言える。メスキータの内部でもこの部分は特に豪華絢爛だ.円柱も太く装飾もより緻密で当時いかにコルドバが栄えていたかを物語っている.経済力が一番だがそれだけじゃない.建築工法や装飾技術など非常に進んでないと出来ないのだ。メスキータの最も神聖な部分であるメッカの方向に向けて造られたミヒラブの豪華さは半端じゃない.ビザンチン帝国からも工人と素材を運ばせたというから、どれだけ豊かだったか伺える。しかしこのミヒラブだが実はメッカに方向に造られていない。元々キリスト教の教会だったものを拡張して行った結果と見る説がある。しかしメッカの方向と憎きアッバース朝のバグダットではコルドバからだと方向は左程変わらない。メッカと共にバグダットにも頭を下げる形になってしまうではないか.足もケツも向けたいアッバースのバグダットに頭だけは向けたくなかったに違いない。わたしは多分こちらの方があたっていると思う.当時の財力を持ってすればメスキータの方向を変えるのは難しくなかったと思うし,第一次拡張はアブデルラーマン2世の許可のもと行われている.ということは意図的なものを感じられる。アンテナ3というスペインのテレビ局が市民が選ぶスペインの宝という題のアンケートをやった結果一位はメスキータだった。何となく微笑ましい写真だ.似合っている。もっとも美男美女というのは余り背景には関係なく似合う。