イスラムの寺院は、屋根がねぎ坊主のような形で、回りに四本の北朝鮮のミサイル(別に北朝鮮製でなくてもいい)みたい形の塔があるとばかり思っていた。具体的にはインドのタージマハールとかイスタンブールのブルーモスクで、それに絨毯なんかが右上の方に(左上でもいいか)飛んでたりして、まあ、モスクについてはそんなイメージがあった.だから最初にこのメスキータ(スペイン語のモスク)を見た時は,持っていたイメージと違ったんでちょっとがっかりした.これじゃ絨毯どころか座布団飛ばしても似合わない。塀の高い刑務所という感じで,中に目つきの悪そうなお兄さんらがウヨウヨいるようで近付き難い不気味さがあった。しかし中に入ったとたん持っていたイメージは178度(日本のスーパー好みの数字、これがスペインのスーパーだったらもろに179になる.この値の付け方にも大いなる文化の差を感じる今日この頃)位一挙に変わった.正に神秘の世界なのだ。神秘的と言う言葉を多発すると神秘的でなくなるがこの場合キチンとしておきたいと鼻息を荒立てて言うのである.実に神秘的なのだ。これほど外観と中身のギャップの大きい建物は他にないのではないだろうか.これほどのギャップはないにしてもスペインの家もある程度それが言えると思う.一般的にスペインの家は集合住宅やテラスハウス(長屋のように続いた造り)が多い.つまり外から見る限り個性がない。その反動かどうかは知らんが内部は凝った家がよくある.外から見ると同じような造りだから自然とインテリアの方で個性を出すしかないのだろうな.だから家の中に入った時にびっくりした経験は何度もある。一般的にスペインの主婦は綺麗好きで家の中はピカピカだ.亡くなった私の義母も一日中チンタラではあるが掃除していた。モップと埃拭きの布を持った姿が印象として残っている.それどころかその印象しか残ってない。それと比べると一般的にスペイン人は公共の物は余り大事にしないような気がする。モスクの形はイスラム世界でも西と東では随分違うというのは後だ分かった。モロッコのモスクも外観は四角四面の味のない造りが多い。
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昔、哀愁のコルドバというギター曲がヒットしたことがあった。どんな曲だったか覚えてないが,この”哀愁”と言う部分がどうも頭の隅にあったのだろう。コルドバ、イコール哀愁になってしまっていたようだ。決して過去だけに生きる町ではないのだが,過去の繁栄が余りにも大きいがために何がしかの寂しさが表に出てくるのかもしれないな。コルドバに来ると基本的に寂しい気分にならないといけない気になってくる。まあ過去の歴史を調べるに従って,この”哀愁のコルドバ”という表現もあながち間違ってないような気にもなって来た。私の初めてのコルドバは1972年の夏だった.ヒッチでマドリッドから一日掛けて着いた時はもう日が暮れていた。古めかしい刑務所のような建物と暗い街灯,そして少ない人通り、これだけ揃えば嫌が上にも”哀愁のコルドバ”の舞台装置はできたようなもんだ。かくして私の頭の中ではコルドバは哀愁漂う町という固定観念が出来上がってしまった。コルドバはモレーナ山脈の裾野のグアダルキビル川沿いに出来た町だ。アンダルシアの母なる川といえるグアダルキビルによって土地は潤った。古代ローマ時代に既に重要な町だった.今でもローマの神殿跡が残っているしローマ橋は歩行者用に使われている。ほんの数年前までは大型の車も含めて車が走っていた.日本の有名なガイドブックに、日本から使者である支倉常長が上陸した所、と載っていた。こんなチョロチョロの水量しかない川に外洋船が上って来れるなんて考えられない。これじゃ井の頭公園の貸ボートだって何艘も入らない.と思っていたらやはりあれは間違いであったようで、今出ている改訂版ではこの項は消えている。立派な本の文字はなぜか信用性があるから怖い。

行けども行けどもオリーブ畑だ。Bailenから26km、Andujarの町だ.オリーブの集散地で大きなオリーブ油工場が見えてくる。ずっと高速を走っていて,料金所がないですねと聞かれたことがあった。スペインのほとんどの高速幹線は無料だ。スペインは1982年にサッカーのワールドカップを開催し,コロンブのメリカ大陸発見500周年記念の1992年にはオリンピックと万博を史上初めて,同じ国で、同じ年に開催するという快挙をやった。巨大なホットマネーがスペインになだれ込んだ。特にオリンピック開催には莫大な金が動く.最も手っ取り早い経済的カンフル剤と言えるから何処の国でもやりたがる。しかしやり方次第では逆効果になってしまう。メキシコ、ソウルなどいい例だ。多民族国家で怠惰な国民性のイメージの強いスペインでの大会開催は海外では心配された面もあった。しかし案ずることはなく大成功に終わった。そしてこの時期にスペインの道路交通網のインフラ整備は飛躍的に改善される.スペイン新幹線AVE,空港、港湾施設もそうだが,最も顕著なのは道路整備だった。また同じ時期に金融自由化にも踏み切った.市場経済は物と金の動きと極論出来る.それがスムーズに動けるインフラ整備があれば自ずと経済発展するものだ。ヨーロッパの中では最貧国と言われたスペインが短期間で世界八位(この数字はコロコロ変わる.人口差が歴然としているインド、ブラジル、ロシアに抜かれるのは時間の問題だ)の経済大国になれたのも、りっぱなインフラ整備のおかげだった。古代ローマの繁栄は9万キロに及ぶ道路整備だったし、ドイツの戦後の奇跡の経済復興も,ヒットラーの遺産と呼ばれたアウトバーンとフォルクスワーゲンのお陰だった.80年代から2000年代前半はスペインが世界でも最も激変した国の一つだった。