
バルセローナから80キロほど南に走ったところにタラゴナの町がある。街のはずれ4キロほどのところにスペインで二番目の規模を持つローマの水道橋が残っている。今のイベリア半島は三つの州に分けられていた。その一つが我々日本人にはユーモラスな名であるが当時、タラコと呼ばれていてこれがタラゴナの前身である。そのタラコ州の州都だったのが、現在のタラゴナである。然るにバルセローナよりも重要だったわけだ。しかし生活の生命線である水源が町から離れていた。当時のローマの土木技術は驚くほど進んでいた。他の項でも書いたが大水で新しく作った橋が流されたがローマ橋は残ったという所もある。この水道橋はFrancoli川の水を町に引いたものだ。最もたかいところで27mあり217mの長さがある。均整美の美しさもさることながら18世紀まで実際に市民に水を提供していたというから脅威である。はっきりとはわかってないようだが多分紀元一世紀位の物のようだ。悪魔の橋というのはスペインのいたるところにある。川の氾濫のたびに橋が流され悪魔に取り付かれたから、そう呼ばれるようになったのが多いが、この水道橋は悪魔とある娘が賭けをして悪魔が勝ち一晩で作ったという伝説からきているようだ。セゴビアの水道橋にもそんな寓話があったな。
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このMedulasについては2000年前にもかかわらず割りと資料が残っている。ローマの歴史家であり作家でもあったPlinioがこの金鉱の行政官を勤めたことがあったからだろう。彼が残した文献によると年に二万ポンドの金を産出していた(9200g位か)。また六万人の人夫が従事していたと言う。250年にわたる採掘で1635トンの金を確保した。最近の科学的調査では1500トンの金を採掘したと公式発表された。余り誤差はないのだ。Plinioがいうには海底の真珠を探すより楽な仕事だと記述している。多分露天掘りだったからだろう。未知の土地にロマンを求めて次々に開拓して行ったローマ人達の軌跡、これがこのLas medulasだ。絶壁のように切りそがれた山肌は余りにも傾斜がおお過ぎ保水能力をなくす結果になり植物の繁殖を拒んでしまった。よって世にも稀な奇観を呈するにいたった。この傾斜がもう少し緩やかだったら植物は繁殖し一面の緑の何の変哲もない景観になっていただろう。1997年に世界遺産登録されている。

スペインの世界遺産シリーズをローマの遺跡メリダから始めたわけだが次にどこに行ってこましたろかと考えた。近郊から攻めていくか、あるいはローマ帝国関係から行くか、その両方に一致するのがあった。ローマの金鉱採掘遺跡、Las medulasである。脊髄とかいった意味だが金鉱採掘によって山々が削られ赤銅色の地肌がむき出しの壮大なる奇観を呈している。正に山々の骨だけが聳え立っているような感じだ。38あるスペイン世界遺産のなかでも最も変わったものだと言える。人為的景観の中では世界的に見ても最も壮大な一つではないだろうか。つまりグランドキャニオンやアラスカの氷河のように自然が何億年にわたって造ったものは別にしてという意味だ。ここにも古代ローマがいかに進んでいたかが分かる。まず金鉱の有無をどうやって解明したのだろうか。偶然発見したとは考えられない.と言うことは地質学がもうすでにかなり確立されていたことになる。また山肌を削って土を洗浄し砂金を確保するわけだが問題はその水だ。約2000mあるTeleno山の雪解け水を使ったようだが写真のように高低の多い山地にあって水路約300kmも設けたという。水は当然高い方から低い方にしか流れない。これを300kmにわたって、水路というよりも運河と呼ぶべきか、造ったのである。その幅1,28m.カーブの所は1.6mと全て均等に造られている。また岩山にもトンネルを堀り運河を通したのだが驚くべきはちゃんと傾斜が設けられているのだ。測量術を含めてローマの土木建築がいかに進んでいたかを伺うことが出来る。