
今年、2009年はモリスコ追放の400年目に当たる。あまり話題になることもなかったし、意図的に話題にしたくなかったのかもしれん。農地、財産を一方的に没収して彼らを追放してしまったのだから、余りスマートな歴史ではない。それどころかスペイン史の数ある汚点のひとつといえる。1492年、イスラム最後の拠点、アルハンブラが陥落すると、イスラムの住民は大きな選択を強要される。キリスト教への改宗か、もしくはアフリカへの追放である。多くは涙ながらにアフリカへ去っていったが、一部はキリスト教への改宗を誓い、イベリア半島に残る者もいた。そういう人々のことをモリスコ(Morisco)と呼ぶ。しかし、このモリスコも1609年のフェリッペ三世の追放令によってスペインの地から追い出されてしまう。その数約30万人。当時のスペインの人口が850万だったことを思えば社会的インパクトは計り知れず大きかったことだろう。歴史が古いこと、余り外部に知られたくない史実ということもあり、その社会的衝撃はよく分かってない。彼らが居座っていたのは地中海側に片寄っていた。バレンシア地方の住民の三分の一ほどがモリスコだったとされている。そしてそのほとんどが農業、土木建設に携わっていた。今で言う3Kだ。これが一挙に追放されたのだから、社会構造の屋台骨が大きく揺らいだに違いない。では何故彼らは追放されてしまったのだろう。色々と考えられるがどれひとつ確信はない。モリスコ内からの、まだ勢力を保っていたオスマントルコやイスラム系海賊への内通を恐れたという見方をある。確かに重要品目を積んだ船がイスラム系海賊に襲われる事件が幾多あったようだ。あるいはただ単に住民争いが悪化した結果と見れないこともない。モリスコのスペイン人へのコソ泥事件が絶えず(当時からアラブ系の犯罪は多かったのだな)その膨大な数の訴えにお上も動いたという見方だ。いずれにしても彼らの追放によってスペインの農業は大打撃を受け、回復するのに何世紀も掛かってしまう。ブタという風に呼ばれ蔑まれたモリスコたち。追放されたアフリカの地では邪教への改宗者ということでもっと厳しい仕打ちが待っていた。どちらからも軽蔑されたモリスコたち。彼らに罪があるわけではない。歴史に翻弄された悲劇の人々なのだ。北朝鮮への在日帰国組の人々とダブって見えてきた。
Archive for the '宗教問題' Category

女性はヘアースタイルしだいで見違えるほど変わるものである。つまり女性の美しさを生かすかどうかはヘアースタイルで決まると言っても過言ではない。しかしイスラム社会ではそれを全く無視した世界と言える。そんな中でトルコの女性たちが反旗を翻した。イスラムの国々はほとんどが政教一体のイスラム法の下での国家体制だ。当然その教理に従ってスカーフ、ベールなどで髪を隠さなければならない。近代化を急ぐトルコ、懸案のEU加盟は彼らの悲願である。その加盟の大きな条件の一つが国の民主化だ。EUが主張する民主化とイスラムの教理とは相容れない部分が多すぎる。中でも女性に強要するスカーフ、ベールは女性弾圧の象徴ともいえる。またイスラムの子は生まれたときからイスラム教徒で選択の余地はなく宗教の自由は全くない。自由と民主主義を標榜するEUからみると基本的な部分でトルコの加盟はありえないのだ。今トルコは全国的に大規模なデモが展開されている。イスラム教政党(と言っても非常に穏健なのだが)がもう五年も続いている。今回立候補したのもそうだ。それに対して宗教色のない政府を求めて何百万をいう人々が抗議に立ち上がったのだ。特に原動力となっているのが若い女性たちである。トルコ国民の知的水準向上の証と見れる。スペインはイスラム教徒、ユダヤ教徒を駆逐するのに800年を要した。当時あらゆる面で進んでいた彼らを追い出すことで特に経済的な点で大インパクトがあったが長い面で見ると正解だったように思う。宗教紛争ほど無意味な終わりのない争いはないのだ。しかし今また平和裏に北アフリカから大量の移民が押し寄せている。しかも彼らは宗教的習慣を改めようとはしない.人の家に土足で上がってそれを正当化しようとする。よその国に来てるのだたらもう少し柔軟化すべきだと思うのだがそうではない。トルコのLaico(宗教色のない、普通の)な政府が出来ることを望む。