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日本の医療事情の一片を見る

母が危篤だという日本の家族からの電話で一ヶ月ほど帰国していた。長くて一週間という医者の予見だったが、徐々に安定して来て,医者も具体的にどの程度の期間生きれるのか言わなくなった。多くの患者を見ている看護婦は一年ほどは大丈夫だろうと言うので,そんな長く仕事もせずいるわけにいかず一旦スペインに帰って来た。状態が安定したといっても脳死状態、つまり植物人間だ。昔は,人間自力で歩けなくなったら一週間で他界すると言われた。また多くの老人が畳の上で死にたいと言ったもんだ。今回は生き地獄の老人達を無数に見た。正に阿鼻叫喚、老人虐待だ。何故、楽にして上げられないのだろうか。安楽死はスペインでも認められているわけではない。しかし助かる可能性が全くなく苦しんでる患者には家族の要請しだいでは死期を早める処置はやっている。実際に私の義母の最後はそうだった。ここに日本人とスペイン人の気質の差を見るような気がした。約束事に対して全て厳格な日本人やドイツ人から見るとスペイン人やイタリア人は実にいい加減なチャランポランに映る時もある。しかしそれもケースバイケースではないだろうか。規則は規則であり,病院は治療する所という大前提のもとに、塗炭の苦しみをなめる患者達を平静に見れる方が人間的でないような気がする。今回、多くの患者さん達を見て安楽死の必要性を感じた。しかし安楽死認定を法定化すると別の問題が発生するのかもしれないな。一つ感ずいたのは、その莫大な経費だ。介護保険一割自己負担が月に約17万円ほど掛かる。と言うことは保険が月に150万円ほど負担している計算になる。全国に何万の脳死患者がいるかしらんが、有に何兆あるいは何十兆の話になってしまう。安楽死を認めると倒産する病院も出てくるかもしれん。また医師や看護婦の失業者も出てくることになる。医療薬品会社の利益だって少なくなる。まあこれだけ巨額の金が動く分野となると、利権が絡んでくるだろうし、認めるか認めないかで社会構造の急激な変化を伴うことになるだろうから、この問題は法案化されることはないだろう。17万の病院代のほかにオシメ代6万というのが請求された。点滴に鼻からの流動食だから排出物もほとんどないのだが、一日に何度も換えるようだ。思うにこれは看護婦さんの余録になるようだ。

アンダルシア街道を行く27 Sevilla (セビージャ)


セビージャあるいは人によってはセビーヤと発音する人もいるが、間違ってもセビリアという人はいない。華やかな町である。美人の多いスペインでも最も多いのがアンダルシアだが,その中でもセビージャが最も多い。歴代のミススペインの三人に一人がアンダルシア出身だ。美人が多いと惚れた晴れたと色々と話題に事欠くことがない。これがブスだと何しようと話題にはならない。、過激な事を言うようだが、これは真実だ。セビージャを舞台にした読み物が多いのもそれを物語っている。カルメン、ドンフアン、セビージャの理髪師、その続編のフィガロの結婚など多くの人が知っている有名オペラの舞台となったのはセビージャなのだ。物語の主人公は美男美女に決まっている。ドンキホーテの物語は例外中の例外なのだ。17,18世紀のセビージャは前代未聞の栄光の時代だった。多くの成金者がでた。彼らが金にもの言わせ多くの美女を物色してセビージャに連れて来た。そしてこれは史実として残っているのだが、イスラム時代も王侯貴族が遠く北欧から美女を数多く連れて来ている。その子孫が多いわけだから美男美女が多いのは当然だ。また世界的に見ても同じことが言えるのだが、ベネズエラは世界のミス工場と言われ世界のミスコンテストで最も多く優勝している。しかしスペインに何万といる彼ら移民のなかに美女など見たことがないし、テレビのベネズエラの映像を見ても美女を見ることはない。大航海時代に多くの荒くれ男達が我先にと新大陸を目指した。一体何が彼らを危険な航海に駆り立てたのか。教科書には胡椒を求めて出帆して行ったと書いてある。当時非常に貴重な物には間違いないが、胡椒は所詮胡椒だ。精力有り余る荒くれ男達を危険極まりない帆船航海に駆り立てるには説得力がない。しかし落ちこぼれのギラギラした野郎共が女をともめて新大陸へ雪崩のように渡って行きましたとは教科書に書けない所が辛いわけで,彼ら脂ぎった野郎どもがギリシャ神話の美女だけ住む理想郷アマゾンの神話を信じて、奥地へさらに奥地へと探検して行くわけだが,なんとこの不謹慎な行為の目的地が地名や川の名前となったのがアマゾンだ。

アンダルシア街道を行く 26 Carmona(カルモーナ)


余り観光案内書なんかには派手には出てないがなかなか見応えのある町だ。マドリッドから508km、セビージャから33km。セビージャから近すぎるのかもしれないな。有名美術館の近くの小さな美術館みたいなもので,それなりにいいとこがあるのだが観光客が少ない。まあ、その少ないという所がまたいいのかもしれん。コルドバ方面から来ると広大な沃野の中に小高い丘が出現する。防衛の面からして優れていたし,グアダルキビル川の沃野(Las vegas アメリカのラスベガスもスペイン語である)は豊穰の地であり、経済的にも潤ったから古代より多くの民族が渡来し,住みつき,去って行った。またローマ時代はVia augusto(ピレネーから カディスまで1500kmに及ぶ主要幹線道路)の要所でもあった。そのローマ時代のNecropolisと呼ばれるお墓がある。お墓といっても地上の場合は風化されて跡形もなくなってしまうのだが、ここのは貴族のものであろう、豪勢な地下古墳で土に埋もれていた。ローマ時代の古墳ではスペイン最大だそうだ。隣にローマの円形闘技場のあともあるが、ほとんど形を残してない。のちの民族が建材として持ち去って行ったようだ。旧市街にはローマ時代からの城壁と正門がある。城壁は余り残ってないが門の、特にセビージャ門と呼ばれる正門は立派だ。特にイスラム時代に大幅に改築したので、様式も完全なイスラムだ。またこの地はペドロ残忍王(正義王とも言う、このことは後述したいと思う)が敵対する義兄のエンリケを迎え撃つため町をさらに要塞化したことでも有名だ。旧市街のほぼ頂上にAlcazar de don pedro(ドンペドロ宮殿)というイスラム風にお城を造った。この人は異常にイスラム建築が好きだったようだ。いまは国営のホテルであるパラドールになっている。昔のお城や貴族の館、修道院などを改築したのが多いパラドールは何処も素晴らしいが、とくにこのパラドールは雰囲気がある。